2021年のシーズン限りでプロ野球を引退し、「株式会社斎藤佑樹」の社長となったハンカチ王子と現代ビジネスがコラボして始まった本連載。新米社長・斎藤佑樹が、財界の名だたる大物や先輩を訪ね、忖度なしの質問をぶつけ、経営のヒントを学んでいく。
連載第3回目となる今回の対談相手は、2021年より株式会社TOKIOで取締役副社長を務める、日本のトップアイドルの一人・国分太一氏だ。彼はタレントとしてバレエティなどに出演しながら、地域の「モノづくり」を発信し、地方創生に取り組んでいる。斎藤佑樹氏と国分太一氏は、対談を通して「未来づくり」について語っていく。
第3回・5話目となる本記事では、斎藤佑樹氏の「夢」を国分太一氏にぶつけ、お二人の進む道について語ってもらった。
【はじめから読む】『「DASH村、最初は嫌だった」…国分太一が語る、DASH村が株式会社TOKIO設立に繋がったワケ』
老若男女が学べる学校をつくりたい
斎藤 佑樹 「TOKIO-BA」の入り口に、廃校になった高校の黒板をもってきて設置したというお話がありました。「TOKIO-BA」にみんなで集まって合宿をやったらおもしろそうですね。
国分 太一 それは僕も考えています。番組で出会ったすごい人たちに先生になってもらい、全国から生徒に集まってもらう。老若男女がゴチャ混ぜになって学べる学校ができたら最高です。斎藤佑樹さん、体育の先生として来てもらえませんか。
斎藤 行きます行きます。僕は教育学部出身ですし、体育の先生は大歓迎ですよ(笑)。
国分 福島県の西郷村まで全国各地から出かけてもらうのは、容易ではありません。世界中どこにいてもみんながオンラインでつながれるよう、「TOKIO-BA」のアプリも立ち上げました。オンラインとオフラインの両方で、日本中、世界中の偏愛家が集まったら無限の可能性があります。
斎藤 DASH村では日本酒造りもされていましたね。「TOKIO-BA」でも地酒や地ビールをつくったら楽しそうです。
国分 斎藤佑樹さんはお酒は飲まれますか。
斎藤 弱いんですけど、お酒のいい香りや味わいはすごく好きなんですよ。太一さんたちが挑戦していたように、僕もいつか、スポーツを観ながら美味しく飲めるようなオリジナルブランドのお酒を造れたら最高だなあと思っています。
国分 考えられる要素は、実現不可能に思えるアイデアでも全部書き留めておいたほうがいいですよ。突拍子もないプロジェクトを妄想して、全然実現しなくたっていいじゃないですか。
斎藤 おっしゃるとおりです。
国分 今思いついたアイデアが、もしかしたら10年後か20年後に実を結ぶ日が来るかもしれないわけですから。
ファンベースとファンコミュニティ
斎藤 太一さんは長年アイドルグループのメンバーとして活動してきたにもかかわらず、経営者目線のお話がズバズバ刺さります。株式会社TOKIOを立ち上げたのは2021年4月なのに、驚きのスピード感です。
国分 それは10代のころから、僕らが人を喜ばせることに命をかけてきたからかもしれません。
会社を立ち上げようと思ってから、ビジネス書をたくさん読んでビジネス用語を勉強し始めました。すると本の中に「ファンベース」とか「ファンコミュニティ」という言葉が頻出するんですよ。
斎藤 サプライヤー(製品やサービスを供給する事業者)がつくるものを、コンシューマー(消費者)がただ受動的に受け取るだけではない。サプライヤーとコンシューマーが有機的に繋がって、お祭りのように単純な消費ではなく「協創」を楽しんでいく発想の転換ですね。
国分 「これからのビジネスはファンベースとファンコミュニティが重要だ」なんて本に書いてあるわけですが、僕からしたら「いやいや、それだったら僕らはデビュー当時からやってるよ」という感じがしたのです。
「TOKIO-BA」のテーマを「Do it yourself」(自分自身でやる)ならぬ「Do it ourselves」(みんなでつくろう!)に決めたのは、僕にとって自然な選択でした。
でも、そうは言っても僕は経営者としてはまだズブの素人です。僕に足りない部分は、スタッフのみんなが補ってくれます。斎藤佑樹さんも「会社経営者として自分がすべての責任を背負おう」と気負うのではなく、ドリーマーであったほうがいいと思います。
斎藤 その言葉は今の僕にメチャメチャ刺さります。
国分 ドリーマーはお金の心配などせず、ああでもない、こうでもないと自由に意見を言いまくればいい。その夢をどうやったら実現できるかは、別の人に考えてもらえばいいじゃないですか。
トライ・アンド・エラーどころか、失敗続きでもいいと思うのです。「あ〜あ、こいつら、またしくじって失敗してるよ」は「かわいいやつらだ」に変わる。それはやがて「こいつらのこと、放っておけないな」に変わると思うのです。そこに甘えてしまえばいいんじゃないでしょうか。
国分太一が分析する斎藤佑樹の野球人生
国分 NHKのディレクターが、斎藤佑樹さんにエゲツないまでに密着したドキュメンタリー番組をたまたま観ました(2021年10月19日放送、NHK「密着 斎藤佑樹 “ハンカチ王子”最後の日々」)。
斎藤 あの番組は、早稲田実業高校時代の1学年上の先輩(高屋敷仁ディレクター)がつくったんです。
国分 最後のほうで、斎藤佑樹さんが「高屋敷さんが監督だったら僕を辞めさせますか」と訊くじゃないですか。あの質問ができる人は、そうたくさんはいません。
調子がいいときは人が大勢近くに集まってくるけど、ちょっと調子が悪くなるとその人たちは離れていってしまいます。その先輩は、プロ野球の世界で斎藤さんの調子が悪くても離れていきませんでした。
斎藤 高屋敷さんは僕にこうアドバイスしてくれたんですよ。「斎藤が野球の指導者として現場に戻ろうと考えているのなら、今のうちにやっておいたほうがいいことがある。斎藤佑樹がなぜプロ野球で活躍できなかったのか、いろいろな人に訊きまくれ」。太一さんだったら、この質問に何と答えますか。
国分 なんだろう……。ここじゃないのかもしれない。斎藤佑樹さんにとっては、プロ野球選手って通過点なんじゃないですか。プロ野球選手として活躍することが、斎藤さんにとってのゴールじゃないんじゃないですか。
80歳になった斎藤さんが自分の長い人生を振り返ったとき、プロ野球選手として過ごした時間は、実は自分にとってそんなに大切な時期ではないのかもしれません。それより先に、もっと大きな何かが待っている。人生にとって一番大切な時期は、20代ではなく、もっと先なのかもしれません。
斎藤 早稲田大学時代に野球部の恩師だった應武篤良(おうたけ・あつよし)監督が、2022年9月に64歳で亡くなられました。應武監督が太一さんとまさに同じことをおっしゃってくれたので、今とても驚いています。
引退するとき應武監督に電話をかけたんですよ。すると「斎藤、ここでお前の仕事は終わりじゃない。この先がお前の仕事なんだ。これは通過点だ」とおっしゃってくれたのです。
国分 僕もそう思います。TOKIOにとっても斎藤佑樹さんにとっても、今がゴールじゃない。「今は通過点だ」という気持ちで、一緒にがんばっていきましょうよ。
(連載終わり)
カメラマン:熊谷 貫
ヘアメイク:永野あゆみ(アートメイク・トキ)
スタイリスト:曽川 七菜(Yolken)