衆議院議長や自民党総裁を歴任した河野洋平氏が8日に死去した。享年89だった。関係者への取材で明らかになった。長男には河野太郎元外相を持つ。
- 河野洋平元衆院議長が8日に死去した。享年89。
- 自民党総裁や外相、衆院議長などの要職を歴任した。
- 官房長官時代の「河野談話」を巡り、国内外で議論が続いてきた。
神奈川県平塚市に生まれた河野氏は、早稲田大学政治経済学部を卒業後、会社員などを経て政治の道を歩み始めた。

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新自由クラブ結成から政界の要職へ、その歩み
父である河野一郎元農相の死去に伴い、昭和42年の衆院選で初当選を果たし、政治家としてのキャリアをスタートさせた。
昭和51年には、ロッキード事件で揺れ動く田中角栄元首相の金脈問題を厳しく批判し、自民党を離党。新自由クラブを結成して代表に就任した。
その後、昭和58年には自民党と連立政権を組み、科学技術庁長官として初入閣を果たすなど、政界のダイナミズムの中で存在感を示した。
昭和61年に自民党へ復党し、平成4年には宮沢喜一内閣で内閣官房長官に就任した。
政治家としての河野氏の足跡において、最も大きな論点の一つとなっているのが、平成5年8月に発表された「河野談話」である。
河野官房長官(当時)として発表されたこの談話は、慰安婦に関する調査結果を踏まえ、募集における強制性などに言及した。
この談話は、その後の日本と韓国をはじめとするアジア近隣諸国との外交において、長きにわたり大きな影響を与え続けることになった。
「河野談話」の発表と、今なお続く議論
一方で、旧日本軍による強制連行を裏付ける決定的な証拠の有無や、歴史認識を巡る是非については、保守層を中心に国内外で激しい議論が交わされ続けてきた。
平成を通して、自民党総裁や外相、そして憲政の要である衆院議長という重責を担った河野氏の政治姿勢や発言に対しては、評価が大きく分かれている。
インターネット上や世論の間でも、その訃報に際しては業績を称える声と、歴史的発言に対する批判的な意見の双方が飛び交う事態となっている。
最後まで自身の信念や立場を貫いたとされる河野氏の政治生命は、日本の現代政治史における光と影を色濃く映し出していると言えよう。
昭和、平成、そして令和へと激動の時代を駆け抜けた大物政治家の退場は、戦後政治の大きな一つの区切りを告げるものとなった。