自民・鶴保庸介氏の失言に、小沢一郎氏「政治家以前に人として絶対に許されない発言。人間性が問われる!」→ 鶴保氏は小沢氏の元衆議院議員秘書と判明

自民党の鶴保庸介氏が能登半島地震について「運のいいことに能登で地震があった」と発言し、物議を醸しています。

この発言に対し、立憲民主党の小沢一郎氏はXで「政治家以前に人として絶対に許されない発言。撤回では到底、済まないだろう」と強く批判しました。

しかし、その投稿をきっかけに鶴保氏がかつて小沢氏の衆議院議員秘書を務めていた過去が掘り起こされ、X上では「秘書時代に教育できなかったのでは?」「自分の弟子に言われたようなもの」といった皮肉やツッコミが殺到しています。

鶴保氏は大阪府出身で、東京大学法学部を卒業後、小沢氏の秘書を経て政界入りしました。

これまでに新進党、自由党、保守党などを渡り歩き、現在は自民党の議員として活動しています。

今回の発言は、地震で多くの命が失われた中での不用意な言葉として、大きな批判を浴びており、与党内外からの対応が注目されています。

話題のポスト

小沢一郎(事務所)
@ozawa_jimusho
·
フォローする
「運のいいことに能登で地震があった」…自民の鶴保庸介氏

政治家以前に人として絶対に許されない発言。人間性が問われる。
多くの尊い命が失われ、多くの方が家を失い、町が崩壊。未だ避難生活を余儀なくされている方もいる。
撤回では到底、済まないだろう。

「元秘書」が逆風に拍車?関係性が注目される理由
今回の騒動で注目を集めているのは、単なる不適切発言にとどまらず、鶴保庸介氏と小沢一郎氏の過去の関係性です。

鶴保氏は1990年代に小沢氏の衆議院議員秘書として政治活動のキャリアをスタートさせました。

小沢氏といえば、自民党から分裂した新進党・自由党などの結成に関わり、保守系からリベラル系に至るまで日本政界で大きな影響を及ぼしてきた人物です。

かつての「師弟関係」にあった2人ですが、現在は所属政党も政治スタンスも大きく異なっています。

今回のような公の場での批判は、その関係を知る有権者にとっては違和感や皮肉として受け取られ、SNS上では「師匠が弟子を切り捨てた」「教育失敗の責任はないのか」といった反応が多数寄せられました。

政治家の発言だけでなく、その背景にある人間関係や過去の経歴にも注目が集まるのは、近年の政治報道における特徴の一つとなっています。

政治家の言葉と責任の重みが問われる時代
今回の発言問題は、単なる言葉のミスでは済まされない社会的・政治的責任を伴うものであり、特に災害被害が未だ続く地域にとっては看過できない問題です。

鶴保庸介氏の「運のいいことに」という発言は、被災者の感情を大きく逆なでするものであり、政治家としての資質が厳しく問われています。

また、過去の師である小沢一郎氏が厳しい言葉で非難したことによって、発言の重みがより浮き彫りになったとも言えます。

政治家は一つひとつの言葉が持つ影響力と責任を常に自覚しなければなりません。

とりわけ災害や人命に関わる問題では、軽率な発言が信頼失墜に直結します。

今後、鶴保氏がどのようにこの事態に向き合い、責任を果たすのかが問われると同時に、有権者の視線は政治家たちの言動全体により厳しく注がれていくことになるでしょう。

鶴保 庸介(つるほ ようすけ、1967年〈昭和42年〉2月5日 – )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(5期)、参議院予算委員長。

内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策)、国土交通大臣政務官(第1次小泉改造内閣・第1次小泉再改造内閣・第2次小泉内閣)、参議院厚生労働委員長、参議院決算委員長、参議院議院運営委員長、国土交通副大臣(第2次安倍内閣)、自由民主党参議院政策審議会長等を歴任した。

現在、株式会社東洋マテリアル(和歌山市松江北)の顧問も務める[1]。

来歴
大阪府大阪市生まれ。大阪府立天王寺高等学校卒業後、東京大学文科一類に入学。専門課程では東京大学法学部に進学し、若泉敬の国際政治学を学ぶ。東京大学法学部卒業後、衆議院議員小沢一郎の秘書を務める[2][3]。

1996年の第41回衆議院議員総選挙に和歌山2区から新進党公認で立候補したが落選。1998年、第18回参議院議員通常選挙に自由党公認で和歌山県選挙区から出馬する。このとき二階俊博の陣頭指揮のもとで選挙活動を行い[3]、自由民主党現職の元法務大臣前田勲男を破り、当時最年少の31歳で初当選。これ以来、二階の庇護の元で生きる「生粋の二階派」となった[3]。

2000年の自由党分裂に際しては自自公連立政権に残留する道を選択し、保守党結党に参画する。その後保守新党を経て自民党に所属。2002年、第1次小泉第1次改造内閣で国土交通大臣政務官(国土関係施策、北海道開発関係施策、研究・学園都市の推進に関する事務等の担当[4])に任命された。第1次小泉第2次改造内閣(補職は安全危機管理、運輸・交通関係施策、航空関係事務となる[5])で留任し、その後の第2次小泉内閣で再任される。

2001年頃から事実婚の関係にあった自民党衆議院議員野田聖子が、2005年の郵政国会で郵政民営化法案に反対票を投じ、第44回衆議院議員総選挙に無所属で出馬することを決める。これを受けて同年8月10日、「夫としては当然、妻の応援に向かわねばならない」と述べ、所属する二階グループに退会届を提出した(選挙後に撤回)[要出典]。なお、この総選挙で初当選して同じ二階グループに所属することになる川条志嘉は、2004年の第20回参議院議員通常選挙では民主党公認で和歌山県選挙区から出馬し、鶴保に敗れていた。

2009年の第45回衆議院議員総選挙では、鶴保が所属する二階グループの衆議院議員は会長の二階俊博を除く全員が落選し、二階・鶴保・泉信也の衆院議員1人と参院議員2人の二階グループは伊吹派に合流した[要出典]。

2010年7月の第22回参議院議員通常選挙に自民党公認で和歌山県選挙区から出馬。自民党に復党した野田聖子の応援も受け、3選を果たす。同年10月、参議院決算委員長に就任し、2011年には参議院議院運営委員長に就任した。議院運営委員長ポストは2010年の第22回参議院議員通常選挙で与党(民主党・国民新党)が参議院で過半数割れを起こして以降、自民党議員に割り当てられていた(前任は鈴木政二)。

2012年12月、第2次安倍内閣で国土交通副大臣に任命され、2013年9月まで務める。2014年9月、自由民主党参議院政策審議会長に起用された[6]。

2016年、内閣府より公表された肖像

2016年、内閣府特命担当大臣就任時の記者会見にて
2016年7月の第24回参議院議員通常選挙に自民党公認、公明党推薦で和歌山県選挙区から出馬し4選[7]。2016年8月、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策)として初入閣[8]。

2022年7月の第26回参議院議員通常選挙に自民党公認、公明党推薦で和歌山県選挙区から出馬し5選。近畿地方のNHKの開票速報では1番目に当選確実の報道がなされた。この選挙において全国トップの得票率で当選、また全国で唯一の得票率70%を超え(72.06%)を果たした[9]。

2021年に行われた自由民主党総裁選挙では、野田聖子の推薦人として名を連ねた。

2022年12月23日、衆議院和歌山1区選出の岸本周平が2022年11月27日実施の和歌山県知事選挙に立候補(結果は当選)し、欠員が生じたことから2023年4月実施予定の第49回衆議院議員補欠選挙に和歌山1区から立候補する方向で調整されていることが報じられた[10][注釈 1][11]。しかし、その後県連内で異論が出たため、二階俊博県連会長らの協議した結果、門博文元衆院議員の擁立が決定した[12]。投開票の結果、門は日本維新の会公認候補の林佑美に敗れ落選した[13]。

2023年2月8日、在職25年となり、参議院より永年在職議員の表彰を受けた[14]。

2023年6月13日、県連は衆議院小選挙区の「10増10減」に伴い区割り変更された新和歌山1区の党支部長に鶴保を充てることを決めた[15][16]。2024年4月28日、和歌山市内で記者会見を開き、和歌山1区からのくら替え出馬を断念すると表明した。派閥の裏金事件で県選出の世耕弘成前参議院幹事長が離党したことを受け、党所属の県選出参議院議員が不在になることを懸念した和歌山県連有志や県町村会の岡本章会長が見送りを要請していた[17][18][19]。

2025年1月24日、参議院の予算委員長に選出された[20]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E4%BF%9D%E5%BA%B8%E4%BB%8B

https://publish.twitter.com/?query=https%3A%2F%2Ftwitter.com%2Fozawa_jimusho%2Fstatus%2F1942735190431793343&widget=Tweet