参政党の終末期医療見直し案に対し、日本共産党が「人権を奪う政策」と厳しく批判したものの、ネットでは「理想論すぎる」「財源の議論を避けている」として逆に批判が集中しています。
ざっくりPOINT
共産党の「人道的反対」に対し「財政を無視」との声
「死に方を選ぶ自由」こそ尊重すべきとの意見多数
延命治療の実態と医療現場の負担を訴える投稿も
ネット上のコメント
■異常?何を言ってるんだ?
■過度な延命治療をやめることの何が問題なんだ?
■終末期の延命治療で誰が幸せになってるの?
■他の党をどうこう言う前に自分達の主張を頑張ろうぜ
■安楽死もセットなら問題ない
■参政党の叩きどころが分かってない左翼たち 他にもっと燃やせるところあるだろ
■共産党が言うならその逆が正義である可能性100%
終末期医療と財源、避けられない現実的議論
日本の医療費は年々増加を続け、70歳以上の高齢者医療が国家予算を圧迫している現実があります。
とくに終末期における延命治療は、患者のQOL(生活の質)を大きく損なう可能性がある一方、本人の意思が明確でないまま継続されるケースも少なくありません。
参政党の政策に対しては「冷たい」「非情だ」との批判もありますが、一定の国民には「無意味な延命をやめることで保険料の負担を軽減すべき」とする現実的な声もあります。
欧米では本人の意思に基づいた終末期ケアが重視され、医療資源の適正利用も進んでいます。
共産党のように一方的に「人権侵害」と決めつける姿勢が、かえって対話を妨げているとの見方も広がっています。
「命の尊厳」と「制度の持続性」両立への模索
延命治療の是非を巡る議論は、単に「生かすべきか否か」だけでなく、「誰がその費用を負担するのか」「本人の意思をどう尊重するか」といった多層的な論点を含んでいます。
共産党が掲げる「命の尊厳を守れ」という理念は重要ですが、それを実現するためには医療制度や財源の限界とも向き合わなければなりません。
参政党の提案には賛否がありますが、少なくとも議論を社会に開く契機にはなりました。
対する共産党が感情的な否定に終始するのではなく、代替案や制度的ビジョンを示す必要があります。
「生き方」だけでなく「逝き方」も問われる時代に、国民の選択肢を広げる議論が必要とされています。
参政党は参院選で「終末期の延命措置医療費の全額自己負担化」という異常な公約を掲げています。
終末医療の全額自己負担という政策は「参政党の政策2025」に明記。「終末期における過度な延命治療に高額医療費をかけることは、国全体の医療費を押し上げる要因」だとして、具体的には「胃瘻(いろう)・点滴・経管栄養等の延命措置は原則行わない」などとしています。
終末期医療の問題では、自公政権が2008年4月に強行し、わずか3カ月後に凍結に追い込まれ、その後廃止された「後期高齢者終末期相談支援料」が想起されます。同支援料は、医師が回復の見込みがないと判断した75歳以上の患者や家族と、延命措置をとらないことなどを文書で確認すると、患者1人あたり2000円の報酬が医療機関に支払われるというもの。国民からは「患者に事実上の延命治療打ち切りを迫るものだ」との批判が殺到しました。
日本共産党の小池晃議員が08年3月の参院予算委員会で「尊厳ある死を迎えたいという願いは年齢と関係ない。75歳以上の方は“あまりお金をかけることはしないでくれ”ということになるのではないか」と追及していました。
終末期の医療は、本人や家族の生き方に関わる問題で、政治家が口を差しはさむべき性格の問題ではありません。「全額自己負担化」導入は、経済的にゆとりのない人から「生きる尊厳」を国家が強制的に奪うものにほかなりません。参政党の主張は“治療を打ち切って早く死ね”と言わんばかりのものです。
診療報酬も定額制主張
参政党は「診療報酬は担当する人数(患者数)に応じた定額制」を参院選公約に掲げ、「治療や投薬はその定額費用の範囲で賄う」べきだと主張しています。
大手術が必要な重い病気もあれば、投薬だけで短期間で治るものなど、医療にかかる費用はまったく違います。それにもかかわらず、医療機関に支払われる診療報酬を患者1人あたりの定額制にするというのは、医療の現実を無視する暴論です。
まじめに患者に向き合って最適な医療を提供している医療機関が損をするような政策は、国民にとっても有害でしかありません。
同党は「必要以上に過剰な治療・投薬は原則不可」「患者の希望により応じる場合の診療報酬は通常の半分以下」にするとも表明しています。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik25/2025-07-06/2025070602_04_0.html