あなたが初めてコース料理を食べたのはいつだろうか。ウエディング研究家の安東徳子さんは、「披露宴を行うのは30代から40代前半のカップルが中心だが、コース料理を食べたことがないという人が増えている。廉価な会場だと9割のカップルが『ウエディング試食会で食べるのが初めて』というケースもある。経験の格差が広がっている」という――。
新郎はおもむろに両手でスープ皿を持ち上げて…
昨年、あるホテルのブライダルフェアで行われたフレンチの試食会でのことです。この日は8組のカップルが参加していました。
コース料理1品目のオードブルに続き、2品目のスープがテーブルに置かれました。白地にゴールドの模様で縁取られたボーンチャイナのスープ皿は、古くから多くのホテルやレストランで愛用されてきたテーブルウエアブランドのもの。注がれているのは透き通った琥珀色のコンソメスープ。王室御用達といわれるフランスのカトラリーブランド・クリストフルのシルバーウエアも並んでいます。
「当店では牛スネ肉や玉ねぎなどの厳選された材料を時間をかけてじっくり煮込み、丁寧にアクを取っていきます」。シェフの説明が終わり、カップルたちがスプーンを手に取り始めたのと同じタイミングでした。
部屋の中ほどの席に座っていたカップルの新郎が、おもむろに両手でスープ皿を持ち上げ、直接口をつけてズズっと音を立てて、スープを飲み始めたのです。周りを気にすることもなく、ゆっくりとスープを飲む干す姿はとても堂々としていました。
周囲のカップルもあまり気にかけていない
さらにびっくりしたのは、その後でした。向かい合って座っていた新婦も同じようにスープ皿を持ち上げて、口をつけて飲み始めたのです。まるで新郎を見て「そうやって飲めばいいのね」と納得したかのような表情でした。
2人は20代後半ぐらい。新郎はチェックのネルシャツにデニム、リュックというラフな服装でしたが、新婦はカジュアルとはいえキレイ目なパステルカラーのブラウスにフレアスカートというきちんと感のある服装だったので、余計に驚きました。
私は「見てはいけないものを見てしまった……」というような気持ちでしたが、衝撃的だったのはまわりのカップルは驚いている様子ではなかったことです。その後、ホテルのスタッフにも2人の話をしたのですが、あまり気にかけていないことにさらに驚きました。
ガチャガチャ音を立てるぐらいではもはや驚かない
ショックが大きすぎて、その後、メイン料理、デザートをどんなふうに召し上がったのかは思い出せないほどですが、思えば試食会が始まった時から違和感がありました。私は長年、全国のウエディングの現場を視察してアドバイスを行っており、ブライダルフェアにも数えきれないほど参加しています。この日は中国地方のホテルの視察でした。
通常の試食会は「幸福感に包まれた」と表現するにふさわしい、ゆったりとした雰囲気に満ちています。ところがこの時は、なんだか落ち着きがないと感じたのです。今、思えば、他の参加者もコース料理に慣れておらず、楽しむ余裕がなかったのかもしれません。
スープ皿に口をつけて飲んだのを見たのは初めてでしたが、実はここ数年、ガチャガチャと音を立てて食器を扱ったり、スープを飲む時に音を立てたりするぐらいでは驚かなくなっています。メイン料理に3色のソースが添えられている場合、これは3通りの味わいを楽しむためのものですが、ソースをぐちゃぐちゃに混ぜてしまう方もたくさんいます。
披露宴ができる時点で中流以上のはずだが…
今、披露宴を行うのは30代から40代前半のカップルが中心です。それ以上の40代後半以降の世代はテーブルマナーに自信がなければ、「恥をかきたくない」と知識を得ようとする方が多かったように思います。そうしたマナーを面倒だと感じる一方で、「非日常」「特別感」を楽しんでいる面もあったはずです。
しかし、最近はテーブルマナーを敬遠しているというより、そもそもテーブルマナーに関心がない、もしくはテーブルマナーの存在すら知らないのではないかと思うような方が増えています。
海外のように五つ星ホテル、三つ星ホテルのような明確な格付けはありませんが、日本でもホテルをはじめとするウエディング施設にランクは存在します。あくまでも目安ですが、披露宴を行うホテルやゲストハウスをランク分けするとしたら、招待客60名の場合、Aランクは費用が600万円以上、Bランクは400万〜600万円未満、Cランクは200万〜400万円未満というイメージです。
スープ皿に口をつけて飲んだカップルが参加したのはCランクですが、その中でも上位のホテルでした。そして最近はBランクのホテルでもマナーに驚かされることが増えています。「若者の経済格差」と関連付けたくなりますが、そもそも今、披露宴を行えるカップルは経済的にある程度余裕がある「中流」以上なのです。
「コース料理は初めて」というカップルが9割の会場も
広がっているのは、経済格差が生む、かつては当たり前だったことをできなくなっている「経験の格差」だと私は考えています。
2015年頃からでしょうか、ブライダルの試食会に参加したカップルから「コース料理を初めて食べました」という感想を聞くことが増えました。先述したCランクの施設では7〜9割近くに上り、Bランクの誰もが名前を知っているような全国展開のホテルでさえ4割近くいます。
結婚するカップルの親はバブルを経験している世代が中心です。それでいて子ども世代の経験が少ない理由の1つは、ファミレスをはじめ低価格の外食が増えたことでしょう。また、ワリカンが当たり前の世代なので、バブル期のように「デートで高級レストラン」「クリスマスはシティホテルに宿泊」というような“ご馳走文化”がなくなっていることも関係あると考えています。
「違いが分からないから安いほうでいい」
コース料理の経験がないカップルが増えていることで、ウエディングの現場でも変化が起きています。ブライダルフェアでは価格の異なる何通りかの料理を用意し、試食して比較していただくことがあります。例えばAとBを食べていただいた場合、以前なら味の違いに納得して、高くてもAを選んでいただく方が圧倒的に多かったのです。
しかし、コース料理が初めての方には、安いBも驚きを持って受け止めていただけるため、Bが選ばれることが増えました。もちろん予算に合わせてBを選ぶという方は以前からいましたが、「違いが分からないからBでいい」という理由で選ばれるのは、料理を提供する側としてはとても残念なことです。
また、試食会では「これまでにどこで試食をしましたか?」とアンケートをとることがあります。料理を重視する会場Cであれば、「その前に訪れたのが近隣の会場Dなら、ほぼCを選んでいただける」というように、過去のデータに基づく自負があり、成約を予測できました。しかし、今はそれも難しくなっているのです。
どのランクの店でも感想は「おいしかった」になってしまう
「すごくおいしかったです」。
試食会の後、多くのカップルが満足そうにこうおっしゃいます。しかし、以前と違うのは、Bランクの施設でも判を押したように「おいしい」という感想しか聞けなくなったことです。かつては「ナイフがいらないくらい、お肉がやわらかくて感動しました」「こんな味のソースがあるなんて知らなかったです」というように、具体的な感想を聞くことができました。これも食の経験値が低くなり、比較することができなくなっているからでしょう。
食は文化です。和食はもちろん、フレンチなどでも発揮される高い料理技術は世界に誇る日本の大切な文化のひとつです。今までは、結婚式がその上質な料理文化を経験する貴重な機会でしたが、それが危うくなっています。
このような状況を踏まえ、ウエディングはもちろん飲食業界でも「価値を伝える能力を高めること」が急務であると考えています。これまで料理の説明をする際は、素材の生産地やいかに手間をかけて作られているかを伝えたり、シェフの経歴を紹介したりするのが一般的でした。そこには「食べてもらえば分かる」という作り手の思い込みがあったと思います。
「食べれば分かる」では通用しない
しかし、これからは「クリームの材料となるじゃがいもの皮むきから丁寧に行うことで、舌にのった時のなめらかさが違います」というように、味わいの違いがどこから生まれるのか、根拠となる情報を伝えることで、おいしさを実感してもらいやすくする必要があるでしょう。
そのためには今まで以上に提供する側のプレゼンスキルが問われます。すでにメニューが新しくなるたびに、全品をスタッフが試食して、自社の価値を実感させる取り組みをしているホテルもあります。
そして、コース料理を食べたことがない方が増えている一方で、今、日本のフレンチのレベルは非常に高く、「ジャパニーズフレンチ」という新たなジャンルになっています。パリをはじめ、海外でも日本人シェフが絶大な評価を受けているのです。しかし、このままでは同じ日本人でありながら、ほとんどの人がその感動を享受できないままでしょう。
披露宴はおいしい料理でお二人の門出を祝う場です。今後は多くの人が初めてフレンチに出会う場でもあると捉え、ウエディング業界が新たな経験の場としての役割を担っていきたいと考えています。
———- 安東 徳子(あんどう・のりこ) ウエディング研究家、戸板女子短期大学服飾芸術科教授 一般社団法人日本ホスピタリエ協会代表理事、株式会社エスプレシーボ・コム代表取締役、NPO法人TOKYOウエディングフォーラム理事、日本社会学会正会員。著書に『誰も書かなかった ハネムーンでしかできない10のこと』(コスモトゥーワン)、監修に『世界・ブライダルの基本』(日本ホテル教育センター)など。 ———