へずまりゅうさん「外国人の生活保護ほどいらんものはない。国民が納めた税金を我々日本人にではなく外国人を養う為に使う意味などあるか?」

へずまりゅうさん「外国人の生活保護ほどいらんものはない。国民が納めた税金を我々日本人にではなく外国人を養う為に使う意味などあるか?」

へずまりゅうさん(@hezuruy)がXで投稿した「外国人の生活保護ほどいらんものはない」とする内容が、SNS上で多くの賛同を集めています。

投稿では、生活保護制度が外国人にも適用されている現状に強い不満を示し、「国民が納めた税金を我々日本人にではなく外国人を養う為に使う意味などあるか」と訴えました。

さらに、「命の結晶だぞ」と税金の重みを表現しつつ、「本来受給すべき人が断られて馬鹿じゃねえのか」と、制度運用の不公平感を強く批判。

この投稿には「その通り」「代弁してくれた」「現場で働いていると本当に実感する」といった声が次々と寄せられ、多くのユーザーが共感を示しています。

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賛同が集まる背景にある「納税者の実感」

へずまりゅうさんの投稿に多くの支持が寄せられた理由の一つには、日常的に税金を納めながら生活の不安を抱えている人々の「不公平感」があります。

特に、自分たちがギリギリの生活をしている一方で、労働の義務を果たしていないように見える他者に公的支援が渡っているという印象は、現代社会の緊張感を如実に映し出すものです。

今回の投稿は、外国人の生活保護受給という制度的な運用についてではなく、「努力して納めた税金の使い道が納得できない」という国民感情に焦点が当てられました。

これに共感した人々の中には、福祉の現場で矛盾を感じてきたという声や、自分の親族が本当に必要な支援を受けられなかったという経験を持つ人も多くいます。

投稿が感情的であるにもかかわらず広く共感を集めたのは、その根底に「自分が正当に扱われていないのではないか」という不満があるからです。

制度への信頼は、運用の透明性と公平性によって支えられます。

賛同の声が多かったという事実は、現行制度の説明や運用が一部の国民にとって不十分だと受け取られていることの表れとも言えます。

支えることと納得することのバランス

生活保護は、憲法第25条に基づく「最低限度の生活を保障する制度」であり、日本に滞在資格を持つ外国人にも一定条件のもとで適用されています。

これは国際人道的な観点や、日本が批准する人権条約の枠組みにも基づいた対応です。

しかし、制度としての正当性があっても、それを支える国民の「納得」がなければ、制度運用は社会的摩擦を生みかねません。

へずまりゅうさんの投稿は、制度の根幹を否定するものではなく、「支援の対象が本当に必要な人に届いているのか」「支える側の声は十分に反映されているのか」という問いを投げかけたものであり、その問いに多くの国民が共鳴した点が注目されます。

制度が「誰のために存在するのか」「どう使われているのか」についての説明責任が、より一層求められているのです。

国民の多くが支える制度であるからこそ、その運用については常に社会との対話が必要です。

賛同の声の背景にあるのは、制度が自分たちに対しても正当に機能しているのか、という切実な視点です。

その声に耳を傾けながら、真に公平で信頼される制度運営を目指すことが、今後の課題です。