在日韓国人として日本に生まれ、日本に帰化したチョーさん「給食で「いただきます」「ごちそうさま」が廃止?恥ずかしくないのか?」

在日韓国人として日本に生まれ、日本に帰化したチョーさん「給食で「いただきます」「ごちそうさま」が廃止?恥ずかしくないのか?」

チョーさん(@chotokugi)がXに投稿した「いただきます」「ごちそうさま」の給食時の廃止をめぐる意見が、SNS上で大きな共感と議論を呼んでいます。

投稿では、ある保護者が「お金を払っているのになぜ『いただきます』と言う必要があるのか」と学校にクレームを入れたことで、給食時のあいさつが廃止されたという背景が紹介され、「正直、恥ずかしくないのか?金さえ払えば感謝はいらない?」と強く批判しました。

さらに、「命をいただいてることへの敬意すら持てない?文化じゃなくて心が死んでる」とし、感謝を教えられない社会に警鐘を鳴らしています。

ハッシュタグには「#いただきます廃止」「#文化破壊」「#日本の未来が心配」などが添えられ、多くのユーザーから「その通り」「共感しかない」といった賛同の声が集まっています。

「いただきます」は文化か宗教か、そして教育の原点

学校給食における「いただきます」「ごちそうさま」の中止の話題、背景には、「感謝の強制は思想・信条の自由に反する」「お金を払っているのに感謝する意味が分からない」といった意見があります。

しかし、「いただきます」という言葉は単に支払いの有無ではなく、動植物の命をいただくという命の循環や、調理・配膳に関わるすべての人々への感謝を込めた、日本独自の文化的・教育的表現です。

文化庁の「国語に関する世論調査」でも、「いただきます」の意味を「命への感謝」と捉える人が多数を占めており、それは宗教的行為ではなく、道徳的・人間的成長を促す生活習慣と位置付けられています。

教育現場では、こうした「食育」の一環としてあいさつの習慣が重視されてきましたが、価値観の多様化や保護者とのコミュニケーション不足により、従来の常識が揺らぎつつあります。

今回の投稿に共感が集まったのは、こうした文化の喪失への危機感が広く共有されているからにほかなりません。

教育とは何を教えるべきかという原点への問い

今回の「いただきます」廃止をめぐる議論は、単なるあいさつの是非を超え、教育の本質とは何かを問い直す契機となっています。

教育とは知識や技能の伝達だけでなく、人としてのあり方、つまり感謝や思いやりといった基本的な心の在り方を育む場でもあります。

だからこそ「いただきます」という行為は、文化としてだけでなく、人格形成の一部として重要視されてきました。

チョーさんの投稿に多くの賛同が寄せられた背景には、「便利さ」や「効率性」を追求しすぎる現代社会への反省があります。

「金を払っているから感謝しない」「手間がかかるから省略する」といった風潮に対し、「それで本当に子どもたちは幸せになれるのか?」という根源的な疑問が投げかけられています。

教育の現場でこそ、大人が率先して「感謝する心」や「いただく命への敬意」を伝えることが求められています。

文化は押しつけではなく、育てるものです。

今回の一件は、私たちが未来の世代に何を残すのか、その姿勢が問われていると言えるでしょう。

日本の心を守るのは、私たち一人ひとりの意識にかかっています。