「暴動が起きても不思議のないレベル」元ヤクザも驚いた「とにかくメシがマズイ」岡山刑務所の思い出

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佐賀少年刑務所、佐世保刑務所、神戸刑務所、広島刑務所などで懲役を経験した、元ヤクザで今は司法書士として働く甲村柳市氏(1972年、岡山県生まれ)。そんな彼が味わった、暴動が起きてもおかしくないほど最悪の「ムショ飯」とはいったい? 初の著書『 元ヤクザ、司法書士への道 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

ムショで寒さに震える

もう四半世紀も前のことだから記憶も曖昧だが、俺の「刑務所デビュー」は、ヤクザになったばかりの22歳か23歳、1994年の頃である。初犯だったが実刑判決を受け、佐賀少年刑務所に収監されたのである。このときは岡山市内のスナックで暴れ、罪状としては器物損壊と傷害だったのだが、普通なら初犯は執行猶予だ。覚えてはいないが、その前にすでに執行猶予を受けていたのかもしれない。

少年院は「更生」がタテマエなので非常に生活指導が厳しいのだが、ショウケイ(少年刑務所)の厳しさもなかなかのものだった。もちろん、厳しくされたからといって更生するかというと、それは別の話だ。そのいい例が、俺だ。

ちなみに、少年刑務所は「少年」と名はついているが、未成年者だけが収容されているというわけではない。法務省では26歳までは少年刑務所に収容できるとされていて、20歳過ぎの俺が佐賀少年刑務所に入れられたのも、まさにその実例だ。

だが、実際には刑務所のキャパシティが足りなくてそれ以上の年齢でも少年刑務所に入れられている例も多いようだ。2018年2月には80代の懲役が、俺のいた佐賀少刑で亡くなったことが公表され、話題になった。

なぜ、これが明らかになったかというと、その受刑者が所内でけいれんを起こして搬送先の病院で死んだからだ。もし、これが自然死だったとしたら、そんな高齢者が少年刑務所にいるとは表に出なかっただろう。

ちなみにその直後(同年5月)の佐賀新聞によれば「受刑者の定員は578人で、2017年の平均収容人員は358人で減少傾向が続いている。2017年現在、60歳以上の受刑者は29人、一方、20歳未満の少年受刑者は1人のみ」(要約)だったという。いわゆる「少年」が1人しかいなかったのだ。

刑務所の「老老介護」

高齢化が進んでいるのは少年院だけではない。長期刑の受刑者が多いところには、収容者が老人ばかりで、元気な年寄りが病気の年寄りを介護するのが主たる「刑務作業」になっているという。老老介護は刑務所内でも珍しくない。

さて、俺自身のことに話を戻せば、刑務所といえば「寒い」という印象が強烈に脳裏に焼き付いている。

最初に佐賀少年刑務所に入れられる前、刑が確定するまでの3ヵ月あまりを過ごした岡山刑務所内の拘置施設もとにかく寒かった。

よく知られていないが、裁判で刑が確定するまでの時期に入れられるのは、拘置所と言って刑務所とは別の施設である。拘置所にいる間は「推定無罪」の原則に従って、収容者は「善良なる市民」という扱いを受けることになっている。

いわゆる囚人ではないから、自分で好きなものを拘置所内の売店で買って食べることもできるし、手紙などのやりとりも自由に行なえる(刑務所だと、更生レベルによって手紙を書いていいのは「月に何回まで」という制限がある)。もちろん「作業」なんていうのもない。

だが「推定無罪」だからと言って、日本の拘置所は諸外国に比べて制限が多い。電話なんてかけられないし、テレビが房の中にあるわけでもない。夜中まで起きていていいというものでもない。

さらに加えて2007年まで、日本では未決囚も既決囚も同じ「監獄法」によって扱いが定まっていた。この「監獄法」はその名からも分かるように戦前から続く法律で、なんと施行されたのは明治41年、1908年という時代錯誤のものだった。つまり100年経ってようやく改正されたわけだ。

俺が佐賀少年刑務所に入れられたのはもちろんこの監獄法の時代だから、拘置所も人権など「あってなきがごとく」の状態だった。

洗濯は各自が運動の時間に行なうのだが、洗濯機があるわけではない。舎房の外にある水道で洗濯石鹸を使っての手洗いである。牟佐(岡山拘置所の所在地)の冬は厳しく、水道管が凍って水が出ない日もあった。なんとか水が出たとしても、その尋常でないまでの冷たい水で洗わなくてはならない。収容者の中には、しもやけやあかぎれで両手のひらから血を流している者もいたが、そんな状態でも自分のものは自分で洗わされるのだ。

とてももうすぐ21世紀になる日本の話とは思えなかった。

岡山刑務所が特に酷いということでもなく、どこの施設も似たようなものだった。もちろん現在は各施設に洗濯工場があり、洗濯は懲役の刑務作業の一つで、収容者の洗濯物を預かって工場内の洗濯機で洗濯して乾燥させるのだ。

最悪の「ムショ飯」

また、牟佐は食事も最悪だった。

俺は佐賀少年刑務所、佐世保刑務所、神戸刑務所、広島刑務所での懲役を経験しているが、各施設にはだいたい「名物」があった。前に書いたように神戸刑務所は「筑前煮」がうまいと評判だったし、カレーライスはどこの施設でも人気があった。

全体的に施設の食事は「収容者の健康への配慮」を口実に塩分は控えめなのだが、牟佐は「控えめ」にもほどがあったし、米も古米どころか「古々米」というレベルで、炊いた飯が大きなダマになっていて、ベトベトだった。副食もこれまたマズい。

なぜ岡山刑務所がこんなに酷い飯であったかというと、そこに収容されている人間との関係があると思う。

と言っても、岡山刑務所に入っているのが特別凶悪だから、懲らしめるために酷い飯になっているというわけではない。

たしかに岡山刑務所は殺人などの重罪を犯した、長期受刑者が収容されているが、それよりポイントなのはこの刑務所は初犯を受け入れる施設であるということだ。つまり、他の刑務所の飯を知らない連中だから、とても食えたものではない飯を出しても「刑務所だからこんなものなのだろう」と納得する。刑務所の側はそこにつけ込んで古々米を出したり、極端な塩分節約をするのだろう。普通の累犯刑務所だったら、暴動が起きても不思議のないレベルだ。

さらに長期受刑者たちは1日でも早い仮釈放を望むから、不満を持っていてもぐっと堪えて刑務所に文句を言わない。ましてや暴動を起こしたりもしない。この状況は今でも変わっていないと思う。( 続き を読む)

《合格率3%》超難関「司法書士試験」を突破した元ヤクザの勉強法 へ続く

(甲村 柳市/Webオリジナル(外部転載))

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